2011年02月19日

M君の訪問

今日はうれしい訪問者がありました。

珍しく電話相談が少なく、2時30分以降はまったく暇で3時に外の空気を吸おうと出た時のことです。

駐車場に大阪ナンバーの車が入ってきました。

降りてきた顔に見覚えはあるもののすぐには誰だか思い出せませんでした。

「先生、お久しぶりです。 以前はお世話になりました。」と言われて、その特徴のある口調にある懐かしさを感じたもののまだ思い出せません。

久しぶりの暖かい日差しの中でしばし立ち話をしているうちに、だんだんと昔の記憶が蘇ってきます。

「転職を繰り返してばかりいる」と訴える母親に連れられて、初めて受診した時の20歳前のまだ幼さを残したおどおどした顔とはすっかり変わり、ある種の風格を備えています。

彼には当時ずいぶん悩まされました。

自分の苦痛を適切に表現できないことを「うまく説明できなくて・・・」と、本当に申し訳なさそうに話す当時の様子は鮮明に覚えています。

性格も悪くはないし、協調性がないというわけでもなさそうなのに、就職先では先輩や同僚にいじめられるというのが悩みのひとつでした。

それでもその人たちを責めるわけでもなく 自分の能力が劣っているからだと抑うつ的になっていましたが、その辛さが私には伝わって来ないのです。

彼が2か月ほど勤めた職場の上司にたまたま会う機会があり、彼の仕事振りを知ることとなり、たどり着いた診断名は「発達障害」でした。

明らかな自閉性障害やアスペルガー症候群などの診断基準を満たさない「その他の広汎性発達障害」としか言いようがありませんでした。

職場で与えられる指示が彼にはしっかりと理解できていなかったようです。

わずかに十数年前のことですが、当時は精神科医が発達障害を扱うことはまれなことで、私も自分なりの診断にたどり着いたところで、彼をどのようにしてあげればいいのか手探り状態でした。

通院しながらも就職活動にはまじめに取り組み、面接も無事にくくりぬけて採用されても長続きせず、たいていは能力不足ということで辞めさせられてしまうのです。

そのころ友人から知り合いの寿司屋の親父が、「最近の若い者はまったく我慢というものができない。ちょっと叱られるとすぐ辞めてしまう。」と嘆いていると聞いたのを機会にM君のことを紹介してくれるように頼んでみました。

彼はどれだけ叱られて自ら辞めることはなかったので、もしかしたらうまくいくのではないかとわずかな期待をつないだのです。

「だめでもともと。役に立たなかったら辞めさせてもらって結構。」というご両親の同意も得て、彼は初めて親元を離れ住み込みで寿司屋の見習いとして働き出しました。

私にもやっと彼から開放されたという思いもあったのは確かです。

その後1年間ぐらいは家族からも「何とかやっているみたいです。」という情報は得ていたのですがいつの間にか彼も私の中で過去の人になっていました。

そのM君が、のれんわけをしてもらい独立することになったという報告に来てくれたのです。

この十数年の間の彼の苦労も並大抵のものではなかったと思います。実家に帰ったのも5回だけだったといいます。

「あのころは人手不足の時代でよかったね。今だったら雇ってもらえなかったよ。」という冷やかしにも、あいかわらずにこりともせずまじめな顔ではあるものの「今だったら転職を繰り返すこともなくて悩むこともなかったかもしれません。どうせどこも雇ってくれませんから。」と受け答えもうまくなっていました。

今後は商売が軌道に乗り、良き伴侶を見つけることを祈るばかりです。

遠いから開店の日には行けないけど 、M君ガンバレ。


posted by ドク・サム at 00:25| 岐阜 ☔| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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